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役に立たないもの?

雑記

生来天邪鬼な上に消費社会のスピードにガチのマジでついていけないのでアニメもドラマもゲームも漫画も映画も滅多にリアタイしないんですが、珍しく『天幕のジャードゥーガル』を観ています(他に追ってるのは野球と競馬と新聞小説と恒例の『遊☆戯☆王デュエルモンスターズGX 20th Remaster』だけです)。
歴史エンタメ、いいですね。知らないことがたくさんあって調べ甲斐があります。私の知識はキリスト教文化圏に思いっきり偏ってるので、13世紀のモンゴルが舞台の本作は尚更です。

ゴカムにハマった時も原作をもっと理解したいという理由から、近現代史の本を中心にいろいろ読みました(最初の一冊は吉田裕『日本の軍隊』でした)。読みながら「自分は自国の歴史のことも全然知らないんだな…」と己を恥じたものですが、何をもってして”歴史を知った”と言えるのか、それは4年以上経った今でもよくわかりません。勉強すればするほど、学び続けること、編み続けることに終わりはないのだと思えて、ますます恥じ入るばかりです。かつて原作最終章まで一気読みしてから二次創作を始める前に尾形についてのまとめをEvernoteに2万字したためましたが、今だったらもうちょっとマシなものが書けるでしょうかね。それもちょっとわかりません。年表を会沢正志斎あたりから始めて収拾つかなくなる気もします。

一方で可処分時間も限りがありますから、図書館でかたい専門書を手に取りながら「何かもっと生活の役に立つ(=カネになる)ような知識を仕入れるべきなのでは」「それこそリスキリングとか」とか邪なことを考えることもままあります。消費社会のスピードにガチのマジでついていけないから斜め後ろ向きな気持ちで本を読んでるのに、これでは本末転倒ですよね。あまつさえ自分の興味関心とその向かう先を、もっぱら市場原理によって”役に立たないもの”と決めつけてしまうなんて。まるでどこかの政府みたいです。

実を言うとこのサイトを作る時もだいぶ葛藤がありました。SNSという市場の外にこんなの作って引っ込んだところで見る人はいないだろうと。でもそうやってコードを打つ手を止めてChatGPTに愚痴をこぼしてたら、ある日IndieWebを紹介されました(よりにもよってLLMにこれを勧められるというのも皮肉なことですが)。これはかいつまんで言うと「自分で使うものを自分で作ろう!」みたいな活動なんですが、その理念にだいぶ励まされたように思います。自分で使うから作る。昔はそれだけでよかったんですよね。