「尾形の祖父」考
少年時代の尾形が持っている”祖父の古い銃”はスペンサー銃1です。アメリカの南北戦争で広く使われた(終結後は余剰が海外に輸出された)ものですが、本邦ではむしろ大河ドラマ『八重の桜』の主人公にもなった山本八重がこれで薩摩の兵と戦ったことで有名だと思います。
このスペンサー銃、幕末においては時代の最先端を行く超・高性能な武器でした。なにしろ当時の主力であるミニエー銃などの単発銃(作中でいうと村田式とベルダンもこれですね)と違って、いちいち弾を込め直さずとも7連射できるわけですから。ミニエー銃とスペンサー銃では兵力換算でなんと3倍の差があると言われています2。 ただスペンサー銃は弾薬ともども非常に高価なものであり、会津城には(藩の砲術指南役の娘である)八重が実家から持ち込んだこれ1挺と弾薬100発分しかなかったということです3。一方、後ろ盾に本間家という豪商がいた庄内藩ではけっこうな数を揃えて新政府軍相手に連戦連勝していた2そうで、(これを指揮していた酒井玄蕃が相当の切れ者なのもありますが)その威力のほどがうかがえます。
そのような銃が家にある。そして尾形の実家は茨城1ということから、きっと祖父は水戸藩士だったのだろうと私は思っています。尾形から見た祖父は「銃の扱いを教えてくる人」4とあまり嬉しくなさそうな表現になっていますが、あるいは八重の父のように砲術指南役だった可能性もなきにしもあらず、でしょうか。会津藩と水戸藩の蜜月・縁戚関係を思うとちょっと運命的にも思います(両者は新選組とも縁がありますね5)。ただご存知のように戊辰戦争は薩摩・長州からなる新政府軍側の勝利に終わり、その後追い打ちをかけるように廃刀令もありましたから、生き残った元藩士たちは生活上かなりの苦境にあったと想像できます。旗本だった家が食うに困って娘を売る、などと言う話も珍しくはなかったようです6。
半分薩摩の血を継ぐ孫(余談ですが江戸生まれ水戸育ちはあの慶喜公とオソロです)に、祖父はどんな気持ちで銃を教えていたのでしょうね。