おやすみ、私の愛しい人
穏やかな陽光の射す窓辺に置かれた、天鵞絨張りの長椅子。そこに半ば埋もれるように身を横たえ、いつの間にかフェリクスは眠りに落ちていた。くちなし色の豪奢な布地は、その姿にどこか馴染まない。これを本人に言えば間違いなく機嫌を損ねるだろうが、王国の人らしい白皙と気性の彼には、今も変わらず青が似合った。
政務を負えたばかりのベレスは机と椅子の間からするりと音なく抜け出して、己が伴侶の傍らへと影のように身を寄せる。肘掛けを枕に天井を仰ぐその寝顔は危ういまでに無防備で、彼という人を強固に形作る常の峻険さも、今この時だけはそこにない。
どことはなしに遠征の疲れを感じさせる顔ばせを眺めるうち、その額に浅い切り傷があることにベレスは気づいた。彼ほどの使い手に肉薄できる者は少なくとも今日のフォドラでは稀であるし、程度からして鏃か風の魔法か、そうでなければ予測不能に跳ねた投石の破片がそこを薄く掠めでもしたのだろう。しかしそれがどれだけ軽微なものであろうと関係なしに、ベレスの心は薔薇の棘の刺さったようにちくりと痛んだ。そうしてフェリクスが誰がために傷つくのかを、まさか知らぬ彼女ではなかった。
国家元首という全き肖像に瑕がつかぬようにと、王配となったフェリクスはいつも進んで矢面に立ってきた。時には征伐のため、時には仲裁のため、統一国家となってなおも多くの矛盾と火種とを内包するフォドラを、西へ東へ奔走しながら。そうして陰日向に護られるたび、ベレスは彼が嘗てフラルダリウスの公子であったことを切なく思い返していた。"同類"の目から見て、ひとたび剣を握れば誰よりも切れるのがフェリクスという人物だが、やがて剣士の他に女王という新たな視点を得るに至ったベレスは、その挺身に盾の姿を見るようにもなっていた。
フェリクスは生まれついての主君であり、また友でもあったディミトリを、己が手の届かないところで一度ならず二度までも失っている。事の発端、ダスカーの悲劇までを遡るなら、あるいはそれは三度目の喪失であったかもしれない。そのことは彼にとって魂の破局にも等しかったと、ベレスは思っている。
しかし、血を流しながらもフェリクスは選んだのだ。この上どれだけ傷つこうとも、死に場所という安寧を求めることなく、ベレスと共に在ることを。彼の王なき後の地平に、こうした形で責任を負うことを。
――だからせめて、このくらいは。
ベレスは触れた傷痕を指でなぞって、そこへそっと口づけを落とす。
不意に吹き込んだデアドラの春風が、薄い透かし編みの窓掛けをふわりと宙に舞い上げた。その紗が、ベレスを、傍らに眠るフェリクスを純白の世界に包み込む。戦争は終わり、あれから季節は幾度も巡った。事は時が解決するものでもないと思えたが、願わくば、今この微睡《まどろ》みが安らかなものでありますよう。ベレスの祈りは風に乗る。冬の終わりを告げるこの使者は、やがては彼の故郷ファーガスにも足を運ぶことだろう。
寄せた唇が離れた後には、そこにあった傷は夢のように消えていた。