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その身で学ぶ

 迅速の一振いっしんを剣身で受け止め、押し返す。妙に軽い手応えに違和を感じて、よくも見れば向こうは既に退いた後。今のは陽動――すぐ次が来る。揺らいだ視界の端で銀色が躍り、対する好敵手の狙いをベレスは悟る。互いのあらゆる布石はこの時、この瞬間のため。即断即決、ベレスはほんのわずか短く持っていた剣を素早く握り直すと、その切先きっさきでもって流れるようにフェリクスの隙を浚った。

 汗ばんだ頬を撫でる風が心地よい。そこには忍びやかな秋の気配があり、訓練場の四角い空、そこにかかる日輪にも今やはっきりと翳りが見て取れる。戦場にあまたの鉄と血の燃えた、激動の夏が終わろうとしている――五年の眠りの後を嵐のように通り過ぎた日々が急に眩しく思われて、ベレスは思わず両の目を眇めた。戦勝者には戦勝者の果たすべき責務があり、こうしてフェリクスと存分に剣を交えられる日々も、おそらくはもう残り少ない。そう思えばベレスには今の一分一秒でさえもが惜しく、試してみたい技が山ほどもあったが、これ以上休憩なしで続けられる気もしなかった。
 深く息を吸って、吐いて、今にも滴り落ちようという額の滴を手巾で拭う。思えば今朝からもう随分と長く打ち合っていた。
「……さっきは虚を衝かれた」傍らの石段に腰を下ろしたばかりのフェリクスがぽつりと言った。「だが、次もこう簡単にいくと思うな」
 挑戦的な、それでいてどこか穏やかにも見えるまなざしに、さあどうかな、とベレスは余裕を醸す微笑で応じる。士官学校の学生だった時分から、飽くなき向上心を持つフェリクスに同じ手が二度そっくり通じた例はない。先程の小細工――彼の生命線である紙一重の間合いを絶妙に狂わせる、ちょっとしたごまかし――も、通用しなくなるのは時間の問題と思えた。易々と勝ちを譲るつもりはないにしろ、その時の来るのをベレスは密かに心待ちにしてもいるのだった。
 陽に灼かれて温くなった手甲を外しながらに再度隣を見やれば、早速対策を講じているらしく、真面目に剣の握りを確かめるフェリクスの姿がある。流した前髪の向こう側にはきっと、さぞ真剣な面様おもようがあるのだろう。不意にこみ上げてきた愛おしさを追い風に、ベレスは座ったままフェリクスとの距離を徐に詰めてゆく。にじり寄るように、少しずつ、少しずつ。肩同士が触れ合った瞬間、その躰が大仰なまでに跳ねたのがわかった。
「おい、急になんだ。いつの間にこんな近く、」
「嫌、かな?」
「は?」
 いまいち状況が飲み込めない様子のフェリクスだったが、じき事の次第に思い至ったのか、忽ち眉間の皺を深くし、視線をあちこち彷徨わせたかと思うと、しまいにはすっかり顔を背けてしまった。それでも押し退けられる気配のないのをいいことに、ベレスは未だそこに肩を寄せたままでいた。こうしているといやに暑く、胸の内がさざめき、盛夏が帰ってきたのかと錯覚する。角弓の節も今や四半分を過ぎたというのに。
「……嫌ではない、が、」と途中まで口に出してから、フェリクスは大きくかぶりを振った。顔にかかる夜色の髪が戸惑いに揺れる。「……ええい、俺に何を言わせる。そも、これは好悪の問題では……」
 言い淀んだ言葉尻はとうとう明確にはならなかった。肌に朱がさして見えるのは、何も剣を交えた後の身の火照りのためだけでもないのだろう。そのように思いつつ、ベレスは己が頬もすっかり赤熱してしまっていることに気がついた。
「苦手を苦手のままにしておくなんて、君らしくない。克服しよう」
「……っ、この期に及んで教師面をするな、阿呆が」
 半ば照れ隠しのからかい言葉、それに噛みつくような勢いで振り返ったフェリクスに少なからず気圧されつつ、しかしベレスは大いに得心して言った。鼻先が、随分と近い。
「ああ、……そうか。そうだね。私はもう、君の"先生"ではないんだ」
 傷つけてはいけないからと、鍛錬の間は大切にしまっている指輪。澄みとおった翠玉エメラルドを抱く銀の指輪。それを取り出してから今一度左手の薬指に嵌め、元教え子の目の前でくるりと掌を返してみせる。冗談嫌いの婚約者は自ら墓穴を掘ったことを察して、観念の舌打ちを返すほかにないようだった。何せ、その贈り主は――彼女を己が生涯の伴侶にと望んだのは、他ならぬフェリクスその人であったから。
 ベレスはくつくつ笑って、その含羞の色に染まった渋面を間近に見つめる。もの言いたげにわななく薄い唇。すっと通った鼻筋。長い睫毛が白皙の上に落とす淡い翳。時に剣ほどにも雄弁な一対の琥珀。それらを順々に目で追っていき、最後に両のまぶたを瞑った。『言わずとも意味など理解できるだろう』、そんな彼の常套手段を真似るように。きっと二度目は通らない、一枚きりの、切り札。
「……随分と意地が悪いな、今日のお前は」
 自己の研鑽に余念のない彼らしく、待ち焦がれた熱がベレスの唇に与えられるまで、さほど時間はかからなかった。

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