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君の帰る場所

執務机を挟んで向こう側、出立を控えたフェリクスは佩剣の柄頭を弄ぶようにしながら、履き慣らした靴の踵で石造りの床を軽く叩いた。コツコツ、と小気味の良い音があたりに響く。招集をかけたばかりの騎士団に先駆け、既にその準備は万端であるらしかった。
 反乱分子の鎮圧は賊の掃討や諸侯による小競り合いの仲裁などに比べれば遥かに難儀な仕事ではあるが、帝国の名だたる将兵はおろか、現し世に蘇った伝説的存在とまでも互角以上に戦ってきた彼の敵ではないのだろう。だから、ベレスが案じているのは何もそのようなことではない。
 書き物をする手を止め、そこにいる伴侶の端正な横顔を見上げる。

「すまないね。君にばかり頼ってしまって」
「俺の力をお前が必要としている時に、拒む道理がどこにある」

 向き直ったフェリクスは何を今更とばかりに即答すると、吐息混じりにふっと笑った。

「そも、俺はこれ以外の生き方をろくに知らんからな」

 得物にかかるフェリクスの右手元。一寸くつろげられた鯉口からのぞく刃が、窓辺に差し込むデアドラの落陽を映してきらりと灼銀に輝いた。使い手の瞳の色にもどこか似るその赤光は、するどく冴えて美しい。
 盾の名を継ぐ気はない、俺は無銘の剣でいい。かつての親友ディミトリを救えなかった咎をその身ひとつに負うと決め、大戦後に教会と同盟の主導で設けられた貴族としての名誉回復の機会さえも頑として取り合わなかった彼の言をふと思い出し、ベレスもまた同じような笑みを返した。

 教師と生徒、指揮官と将、女王と王配。肩書は都度変わったが、戦士の性とはまことに難儀なもので、ふたりの本質は初めて出会った頃から、あるいはそのずっと前から変わっていなかった。フェリクスは無論のこと、今でこそ国家元首の立場にあるベレスもかつては自ら戦場に立って剣を振るい、どれだけ敵味方の血を浴びてきたかわからない。一瞬のひらめきが生と死を頒かつ単純にして明快なる剣の論理、もとよりそれによって道を拓いてきたのであるから、今更変われもしないだろう。それが互いの見解であり実感だった。
 その物騒な在り方は時代の変わり目にあって多くの対立物を内包するフォドラの混沌ぶりとはおよそ相容れないはずのものなのだが、だからこそなのか、新たなる治世は斯くも平和に馴染めずにいる存在を皮肉にもその象徴として求めた。居場所を失くさずに済んだ反面、この御大層な立場はベレスを、そして共にあるフェリクスをも少なからず束縛する。

「何か、埋め合わせができればいいのだけど」

 実質的に籠の鳥であるベレスの切実からの言葉に、フェリクスは何ら邪なところのない好奇のまなざしを寄せた。

「ならば、明日の晩は空けておけ。奴らとは今夜中にもケリをつける」
「うん、いいよ。それまでにはこちらの雑務も片付くと思う。……でも、珍しいね」微笑みながら、ベレスは二の句を紡ぐ。
「いつも歯に衣着せない物言いをする君が、そんな気を持たせるような……」

 はじめこそ泰然自若としていたフェリクスだったが、続いてほどなく怪訝な表情になり、そこを過ぎるとその白皙の頬をいよいよ羞恥に紅潮させて、先程までの不敵な様子はどこへやら、直情的に勢いづいて紫檀の机上へと両手を衝いた。

「……これは手合わせの話だっ!」
「もちろん、わかってるよ」

 契りを交わしてもう数節にもなるというのに、相変わらずこの手の冗談には慣れないらしい。してやったりとばかりにくすくす笑うベレスに対し、フェリクスは眉根を寄せたまま暫し物言いたげな視線を注いだ。そのままふたりの間に凪のような時間が流れる――かと思われた、その時。
 ベレスには、急にどうしたの、と揶揄する暇もなかった。革手袋の指先がすばやく顎をすくい上げ、互いの鼻先がすれ違い、――ほんの数瞬、唇が重なる。思わぬ意趣返しの威力に、ベレスは手の中の羽ペンを取り落とした。支えを失ったそれがゆっくりと弧を描くように倒れ、かたり、と小さな音を立てる。

 フェリクスは言葉通り瞬く間にその身を翻すと、振り返ることなく足早に部屋を出ていった。結い上げた濡羽の髪の下、吹きさらしの白いうなじを薄赤く染め、捨て台詞ひとつをその場に残して。

「あとで覚えていろ。こんなものでは足らん」

 それは必ず戻るという誓約代わりの、照れ隠しの文言だった。

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