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夜宴

「あっ」
「おい、」
 鈍く軋んだ音と共にがくりと視点が傾きかけて、ベレスとフェリクスのふたりが声を上げたのはほとんど同時のことだった。
 式典用の慣れぬ装いである。かのグロスタール家も贔屓にしているという名うての仕立て屋が特別に誂えたというそれは、教団の伝統とデアドラの最新の流行とを見事に調和させた優美な衣装で、女王という肩書に相応しいだけの品格を十二分に備えてはいた。が、お洒落は我慢とはよく言ったもので、これまで実用第一主義で生きてきた元傭兵の女王がそれを着こなすのは至難の業であった。
 会う人会う人褒めてはくれたが、何せ全身ほとんど拘束具のような窮屈さ、ひとりでは脱ぎ着もままならず、足がほとんど上がらない都合、特に階段の行き来が難しい。
「怪我は」
 訊かれてベレスはかぶりを振った。
「ごめん」
 場所が場所である。下手をすれば腕を貸してくれているフェリクスをも巻き込む形で階下に転落していたかもしれず、そうならなかったのは幸いも幸いだと、ベレスは胸を撫で下ろす気持ちでいた。彼も一瞬、ひやりとしたに違いない。が、ベレスの詫びに相手はかえって不機嫌そうな顔をするばかりだった。
「俺のことはいい」
「まだ、慣れなくてね。似合わないでしょ」
 こういう服も、女王なんて御役目も。みなまで言わずとも、王配として並び立つ彼にはなんとなく通じてしまうらしかった。そのように思わせる微かな憂いの翳が、北国育ちの白い横顔に落ちていた。今でこそかように責任ある立場のふたりだが、その本質は未だ剣士であり、平和というものに馴染めぬ性質であった。
「……それにしても、」フェリクスは視線を下に落として言った。「随分と派手にやったものだな」
 躓いた時に無理な力が掛かったのだろう、見れば履物は踵部分が根本から折れるなどしてすっかり壊れてしまっていた。大丈夫、歩ける、とベレスは何ら躊躇なしに靴を脱ぎ捨てようとしたが、そうこうしているうちに膝裏にさっと何かの触れる感覚があり、忽ち身体が宙に浮いた。横抱きにされたと気付いたのは、彼と同じ高さで目と目が合ってからのことだった。
「あの、フェリクス……」
 数瞬の間を置いて、その琥珀色の瞳がふいと横に逸らされる。まるで猫の挨拶のよう、とベレスはこれまでに何度思ったか知らないことを思った。
「黙ってそうしていろ。女王を裸足で帰らせたとあっては、後で外野に何を言われるかわからん」
 随分とぶっきらぼうな物言いだったが、それが照れからくるものだとわかって、腕の中のベレスは思わず含み笑いを漏らした。
「ありがとう」
「黙ってそうしていろと言った」
 そんな他愛のないやりとりを通して、今度からは謝るよりもお礼を言おう、と心に決めたベレスだった。

 身に宿す紋章のこともあり、見目よりも膂力のあるフェリクスは人ひとりの重さを物ともせず、ひと息に城の階段を昇りきると、瀟洒な絨毯の敷かれた長い廊下をまっすぐに進んでベレスの部屋の前に出た。そこには女王の着替えを手伝うべく数名の侍女が並んで控えていたが、彼女たちは会釈と共にふたりを部屋に招き入れるやいなや、すみやかに左右の通路に散っていった。
 だから当然、そこにはフェリクスとベレスのふたりきりだった。
 その背後で音もなしに扉が閉まる。
 目的地まで送り届けたのだからもう降ろしてもいいはずなのに、どういうわけか、フェリクスは尚もベレスを抱き上げたままでいた。今日の疲れもあるだろうし、さすがに悪いから言って降ろしてもらおうか、とベレスが逡巡しているうちに、そのフェリクスの肩が小刻みに震え始めた。乾いた鼻音からして、どうやら笑っているらしい。
「なに、どうしたの」
 神妙にその理由わけを訊ねたベレスに、フェリクスはわずかに眉根を寄せてから言った。
「お前は気づかんか。連中のとんだ勘違いに」
「え、っと……」
「侍女なしで着替えはどうする」
「……自分ひとりじゃ、さすがにちょっと難しいかな」
「連中は俺が手伝うものと思ったらしい」
「どうして君が、……」
 ベレスが事の次第を察したのは、反射的にそう口走った直後のことだった。
 要するに、侍女たちは気を遣ったのだ。式典を終えて、王配殿下は着飾った女王陛下とこれから夜のお楽しみ、、、、、、なのだと。確かにそう思われても仕方のない登場だったかもしれない、とベレスは両の手で口元を覆った。
「まったくもって余計な世話だ」
 冗談嫌いのフェリクスは呆れたように鼻を鳴らすと、再びいずこかへと歩き出した。閉め切られた空間にわずかな風が巻き起こり、薄絹の窓掛けがふわりと揺れる。
「気づいてしまえば、それも一興かと思えてくる」
 えっ、とベレスは驚いて彼の方を見た。しかしそれが聞き違いでないことは、流し目の奥に灯る火を見ればすぐにわかることだった。そして、フェリクスの足は間違いなく寝台の方に向いている。それらの意味するところはひとつしかない。
 もはや何を問うでもなく、ベレスは伴侶に頬を寄せた。真っ赤になっているであろう顔を見られぬための、ささやかな抵抗として。
「言いそびれていたが、よく似合っている」
「今言うかな、それ」
「脱がせた後では遅いからな」
「意地悪」

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