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愛されなかった人

「シルヴァン、行け!」
「恩に切ります!」
 この礼は、あとで必ず。怒号や矢の絶え間なく飛び交う中、賊を足止めすべく立ち塞がったベレトの横を走り抜け、シルヴァンは終いまで振り返ることなく、跳ね馬のごとく階段を駆け上がった。

 最上階に待ち構える人物にとって、己が招かれざる客の最たるものであろうことを、シルヴァンは自身よく理解していた。コナン塔。かつて対スレン戦線の拠点であったこの遺構に籠城したのは、何もその堅牢さを買ってというだけのことでもないはずだった。防塞に適した要害なら他に候補がいくつもあり、その意味では、この塔の戦略的価値はむしろそこまで高いものではない。
 シルヴァンは思う。要するに、意地なのだ。異民族との戦いこそが存在意義の、この血統に連なる者として、あるいは"持たざる者"たちの領袖としての、意地なのだ。終いには教団が動くと知っていながら破裂の槍を盗み出したのも、付近の村落を恣に略奪したのも、おそらくは理屈が先行してのことではない。然るべき時の彼はもっとずっと怜悧な戦術家であったことを、シルヴァンは知っている。幼い頃にやった盤上遊戯ではとうとう敵わなかったし、父の差し向ける討伐隊も大抵はやり込められて敗走した。けれど、今の彼は自身の存在を認めない女神への叛逆を正当化する材料を並べ立て、暴徒を熱狂に焚きつけ、誰彼構わず積年の激情をぶち撒けているとしか思えない。こうなるまでにどうして誰も止めてくれなかったのか、と。
 彼は槍も紋章も家督も端から求めていない。そういう表面的な問題ではない。望まぬ紋章を宿して生まれ、以来彼と鏡合わせに生きてきたシルヴァンには、それがわかった。わかってしまうからこそ、己が兄の愚行に終止符を打たなければと思っていた。兄はきっと、この覚悟を"持てる者"の傲慢だと言うだろう。その通りだ。泥をかぶるのは、自分ひとりでいい。
 石段はそこで終わっていた。震える手で得物を握り、唇を血の滲むほどに噛みしめて、シルヴァンは舞台、、に上がった。兄はずっとそこにいた。怨み走った眼で弟を見て、それから殺意の鋭い切っ先を向けた。
 この場所が理不尽な運命の終局だと思えばこそ、そこに立つことができたシルヴァンだった。しかし悪夢の幕はまだ上がってすらいないことを、その時はまさか知る由もなかった。

 劈くような咆哮が、戦場の空気を震わせる。
 己が目の前で起きたことを信じられぬまま、シルヴァンは一歩、二歩、後ずさった。異形の獣の燃える眼はシルヴァンの姿を捉えてはいたが、確かに兄だったはずのその生き物は、もう憎むべき弟のことなど見てはいないのだった。

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