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憧憬

「さあな。俺は自分がどうなろうと騎士の務めってやつを果たすだけだ」シルヴァンの問いに、グレンは飄々と応じた。「それに、素質ならあいつの方が上だろう。ま、今の時点じゃ到底負けっこないけどな。泣いてごめんなさいって言うまでのしてやるよ」
 あいつ、とはフラルダリウス家の末弟、そんな目に遭わされたところで決してごめんなさいとは言わないであろう負けず嫌いのあのフェリクスのことである。天才の誉れ高きグレンが家督にさしてこだわりがないこと、そしてまだまだ幼い弟をそこまで評価していることにシルヴァンは驚きを隠せず、点々と木洩れ日の落ちる彼の横顔をじっと見つめた。
 確かに、当主というものはおいそれと自領を離れるわけにもいかず、何かと制約の多い不自由な立場ではある。だから近衛騎士として王都に駐在するならば他家の婿養子になった方がよほど都合がよく、彼の父親もそれを見込んで早々に息子の許嫁を定めたらしかった。フラルダリウスを出ることにはなるが、自身の才を活かせるとなればそれは当のグレンにとっても悪い話ではないのかもしれない。
 しかしそれだって結局は家同士の取り決め、大人たちの勝手な都合に過ぎないのだ。確かにイングリットはグレンを慕っているし、グレンの方もイングリットに対してはある種の礼節を欠かさないが、自身の生い立ちの理不尽から貴族のしきたりというものにひどく幻滅していたシルヴァンには、グレンのその運命への恭順とでも言うべきものが不思議でならないのだった。その上、実質的に彼をそこへと追い立てた幼い弟のことを、まさかそんなにも高く買っていようとは。
 シルヴァンは黙っていた。自分で訊いておいて虚を突かれ、何をどう繕えばいいのかわからなくなったのである。隣に座るグレンはそんなシルヴァンの方に向き直ると、まじまじと顔を覗き込むような素振りをして、それから心底愉快そうに破顔した。
「はっははは、信じられないって顔してんな、お前」
「だって……」
「俺は紋章が人の価値を左右するとはこれっぽっちも思っちゃいないが、かの獅子王の右腕、キーフォンと同じ大紋章があいつに宿っていると思うと、巡り合わせってのをつい信じてみたくもなる」
 グレンはシルヴァンの密やかな鬱屈には触れず、あくまでフェリクスの話をするつもりらしい。それを知って、シルヴァンは小さく安堵のため息をついた。
「騎士道物語か。意外とそういうの好きだよな、あんた」
「意外?」それこそ意外だと言わんばかりに、グレンは鼻から息を洩らして笑った。「俺みたいなのにこそ、目指す理想が必要なのさ」
「そういうもんかなあ」
「お前にも、そのうちわかるさ。……で、特筆すべきは周りに散々手を焼かせるあの癇の強さだよ。そのことについてはお前こそよくよくご存知だろ、なあ、シルヴァン君」
 そこまで言って、グレンはにやりと笑った。
「あれは我らがディミトリもびっくりの大物になるね」
 皮肉屋のグレンが表立って人を褒めるのは稀なことだと、シルヴァンはその短くはない付き合いを通してよく知っていた。ただ、才走るこの男はそれだけに他人の才を見抜く力にも長けていて、その評価はシルヴァンの知る限りいつも正当なものだった。どうやら天才という生き物は妬み嫉みのようなどろどろとした感情とはおよそ無縁の高みにいて、他人を貶めようとも思わないものらしい。
 しかし今回ばかりはシルヴァンも半信半疑だった。なにしろ王子ディミトリとの喧嘩に負けたというそのフェリクスの悔し涙を、ついさっき拭ってやったばかりなのだ。宥めに宥めてようやくすすり泣きが止んだかと思いきや、その後もしばらくは不機嫌に唇を尖らせて、ディミトリがぜんぶ悪い、俺はぜったいに謝らない、としきりに繰り返していたあのいとけない姿と、グレンの言う"大物"とやらになった時の姿とがシルヴァンの頭の中ではいまひとつ実像を結ばずにいたし、あの後フェリクスがディミトリと仲直りできたのかどうかもシルヴァンには心配だった。まだへそを曲げているようなら、一緒に行ってやらなければいけないとさえ思っていた。
「……あのフェリクスが」
 ゆえにこれが思わず口を突いて出たシルヴァンの本心だった。
「おいおい。こいつは真面目な話なんだぜ、シルヴァン君」
 お前が信じてやらなくてどうするんだよ。グレンはそう言うと意地の悪い笑みをその端正な顔の上に浮かべて、シルヴァンを軽く小突いた。
「父上は身内の贔屓目を抜きにしても立派な武人だが、平時においては忠臣に過ぎるきらいがある。ここぞでランベールさまに甘くなっちまうんだよ。ま、それも盾なんて呼ばれる所以なのかもな。俺も、おそらくはその類だ。でもあいつは違う」
 遠い目になったグレンは父親譲りのその碧眼をゆっくりとひとつ瞬かせると、普段のどこか涼しげな、揺るがぬ自信と余裕を醸す天才の顔に戻って言った。
「未来の主君にあれだけ食ってかかれるなら上出来だろ。しかもいいように言い負かされたくせ、一人前に『俺は負けてない』って顔してんだぜ。ま、毎度泣きつかれるお前には世話をかけるがな」
「世話だなんて思っちゃないさ」
 ごく正直に答えたシルヴァンに、グレンはしたり顔で言った。
「馬鹿、知ってて言ってんだよ」
 言葉と共にグレンの腕が伸びてきて、シルヴァンの肩を引き寄せた。自分の癖の強い赤毛をくしゃくしゃに撫で回すその人を見上げながら、シルヴァンはなんだか少し泣きたいような気持ちになった。
 梢の夏、青々と茂った枝葉を風が揺らしていく。ひとすじの斜光に照らされた年長の幼なじみは、その時、強く優しい兄の顔をしていた。
「あいつは俺の可愛い可愛い弟だ、末永くよろしくしてやってくれよ。シルヴァン、俺はお前のことも、決して安く見積もっちゃいないんだからな」

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