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星霜

「随分な戦功だったらしいな」
 剣を砥石に滑らせながら、男は言った。傍に燃える焚火が錬鉄の銀面に反射して、横並びに座る女の膚を暖色に染めている。
「丘の上に君の隊がいたから、いいところを見せたくて」
 ぺろりと舌を出してみせる女の悪びれなさを、男は鼻から息を洩らして笑った。何事にも達観しているようでいながら、どこか子どもっぽさの抜けない女だった。それは傭兵から教師へ、教師から指揮官へ、指揮官から女王へ、そして女王からまた傭兵に戻っても変わらない。
 もっとも、大人げないといえば男の方も大概で、ふたりが先の戦場で競うように拠点を落とした結果、その破竹の勢いに恐れをなした敵軍は続々と戦線を放棄して瓦解、数年は続くとみられていた戦争は存外あっけなく終結の運びとなっていた。
 損害が当初の見立てよりも圧倒的に少なく済んだことも手伝って、あわや救国の英雄などと祀り上げられそうなところを、宴もそこそこに抜け出してきたのである。もとより地位や名誉などは望んでもおらず、漂泊の旅を続けるにはこの自由と当初の契約金があればそれで十分だった。
「少しばかり、有名になりすぎたか」
「君こそ凄かったからね」
「……まあ、あれくらいはな」
「あの剣捌き、惚れ惚れしちゃったな。いつまでも見ていたい、って思った」
 どこまで強くなるの、君。そう言って笑みをこぼす女の、悪戯めいた翠の瞳。どの口が言うのか。男はそこからふいと赤面顔を逸すと、手入れを終えたばかりの得物を鞘に納めた。永遠の好敵手でもある連れ合いに何度でも惚れ直すのは、男の方も同じだった。敵に仕掛ける前、丘の上から見ていたのだ。生半可な剣ではその残像にすら届くまい、女の鬼神のごとき戦いぶりを。
 しかし互いにあれだけ派手にやってしまった手前、この地で一介の傭兵としての仕事口を探すことは難しい。闇を照らす炎に薪木をくべてやりながら、男の懸念は早くも明日に飛んでいた。
 およそ完璧とも言える勝利に国中が酔っているようだったが、一方でこの戦争を利用して新体制の実権を握るつもりでいた諸侯らの面目は丸潰れだった。どこの馬の骨とも知らぬ傭兵部隊に手柄を掻っ攫われたのだ、おもしろいわけがない。頭の痛い話だが、そうでなくても戦いの裏には決まって利権がつきもので、純粋に剣を振るってだけいられる場などは早々ないのである。発つのは早い方がいい、という男の言葉に、女は首肯を返して言った。
「次はもう少し、遠くへ行かないとかな。……そうだ、ここからずっと南下して、船で海を渡るってのはどうだろう」
「ほう」
「沖合に出ると世にも珍しい翼の生えた魚がいるって、前にその地方出身の同業に聞いたんだ。フォドラにもいろんな魚がいたけど、そういうのはまだ見たことがない。絶対、釣ってみせるよ。この腕にかけて」
「食うのか」
「それはもちろん」
 煮ても焼いても、生でもおいしいんだって。まだ見ぬ獲物に目を輝かせる伴侶の肩に片腕を回し、そっと己が方へ引き寄せると、男はそのこめかみに口づけを落とした。長い時間をかけて、自分から触れる分には照れを克服した彼だった。
「お前らしい」
 男女は互いに身を預け合うように、そこに寄り添ったままでいた。花冷えというのか、冬の頃をとうに過ぎても夜露に湿る空気はつめたく、戦場にあっては天下無双を誇る剣士たちにとっても人のぬくもりの恋しい夜であった。
 夜風に揺れる梢の下、ねえ、と甘える声で女は訊いた。
「君はどこへ行きたいの」
「どこでも構わん」いつか自分の言ったことを思い返しながら、男は付け足して言った。「お前のいる場所ならば」
 ほんのわずかの沈黙の後、肩を抱いていた左手が女の細い腰へと移り、ぱちぱちと爆ぜる焚火の向こう、見つめ合ったふたりはやがてひとつの影になる。共に幾千の夜を越え、そしてこれからも越えていく彼等の素性を、今宵は空の星たちだけが知っていた。

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