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狼青年

 あるところに、不思議な森がありました。普通の森とは違って、葉の落ちてしまう冬以外はいつでも、木々が燃え立つように真っ赤なのです。どうしてそうなのかは誰にもわかりませんでしたが、宮仕えのえらい学者先生が言うには、こうでした。
「あすこでは昔から争いが絶えなくて、いつでも誰かの血が流れておる。あのひと目を惹く美しい赤は、そうして作られたものなのだ」

 その森に暮らす人間は、かつてはたくさんいたのですが、数世代にも渡る争いのためにほとんど逃げ出したか殺されたかして、数がとても少なくなっていました。戦いに疲れたひとびとは、殺しを御法度としてひとつの村に身を寄せ合いました。しかし、その頃からでしょうか。今度は元々森に暮らしていた狼たちとの小競り合いが絶えなくなりました。退治てしまえばよいのですが、村の掟ではあらゆる生き物の命を奪うことが穢れた行いだと考えられていましたので、村人たちは集落に属さない、孤高の狩人を用心棒として雇いました。この狩人は森の色と同じ真っ赤な外套を羽織り、目深にかぶったフードの下でぎょろりと大きな目を光らせている、寡黙でまるで無愛想な男でしたが、銃を持たせれば腕前で並ぶ者はなく、いくら殺生を行っても殺しの穢れを村に持ち帰ることのない彼は、この役目にまったく"おあつらえ向き"というわけなのでした。
 翌日明朝のことです。赤ずきん(男が名乗らなかったので村人たちが勝手につけた渾名です)はすぐさま丘の火見櫓に上って双眼鏡を覗いていたかと思うと、「狼狩りだぜ」と一言、丸木橋の近くにいた斥候の眉間を正確に撃ち抜きました。タアン、と高く澄んだ秋の空に銃声が高らかに鳴り渡り、斥候は断末魔の叫びを上げる暇もなく、右足を軸にくるりと弧を描いて斃れました。追って流れ出したものは木々の彩りを写し取ったかのように、見事な赤色をしていました。それは少しの間せせらぎをあけに染めたかと思うと、やがてどこにも見えなくなりました。男の仕事の早さと鮮やかさに、そして殺すことの躊躇のなさに、村の人間たちは茫然と立ち尽くすことしかできません。かつて自分たちもそういう真似をしていたことなどは、都合よく忘れていたのでした。
 そんな人々をよそに、赤ずきんは森へ追討に出て、突然のことにまごついている狼たちを次々に撃ち殺しました。森の色に溶け込む赤の外套が、潜伏の役に立ちました。彼があまりにもうまくやったものですから、狼たちは浮足立つばかり、どうにも仕様がありません。何日もしないうちに、とうとう白旗を揚げた使者が村に送られてきました。狼がいなくなるまで続けるつもりでいた村人たちは肩透かしを食らった気分でしたが、使者まで殺させたのでは自分たちの顔も立たないと思い、それで手打ちということにしました。
 こうして事件は一応の解決を見たわけです。英雄のねぎらいも兼ねて、その夜には村を挙げての盛大な宴が開かれました。一晩じゅうもあかあかと松明の火が焚かれ、人々は手に手をとって歌い踊りました。広間の片隅では、相変わらずニコリともしない男が赤の頭巾を目深に被ったまま、愛銃の傍らでひとり静かに盃を傾けていたそうです。

 が、それでめでたしめでたしとはならないのがこのお話の困ったところなのでした。
「連中はどうも信用ならない」
「きっと仕返しに来るぞ」
「みんな撃ち殺してしまえばよかったんだ。赤ずきんの野郎がな」
 ということで、赤ずきんは引き続き村に雇われることになりました。ただ、所詮はよそ者に過ぎないということなのでしょう。殺生をしないことを自負としている村人たちは、多分に恩義のあるはずの彼を畏怖しながら、同時に軽蔑の目で見てもいました。
 もっとも、赤ずきんはそんなことはお見通しでした。前金の他に成功報酬も要求し、額を吊り上げるだけ吊り上げて、金にがめつい欲たかりを演じました。そのくせ、彼には金でやりたいようなことは唯のひとつもないのでした。もとより、使い方だってろくに知りません。自分ひとり生きるだけなら、金などなくてもどうにでもなるからです。ただ、人間の世界では金こそが権力と価値の象徴でありましたから、連中が穢れとして忌み嫌っている殺し、そしてそれを生業とする自身に対して多額の報酬を払わせることで、命の価値とカネの価値、両方をまとめて無に帰すことができると赤ずきんは考えたのでした。が、それもあくまでついでの話に過ぎません。彼の本当の目的は、実は別にありました。
 いつしか秋はその盛りを過ぎて、あたり一面真っ赤だった森も、だんだんと落葉が目立つようになっていました。つめたい木枯らしの吹き付ける中、何日も何日も、赤ずきんは膝を三角にして、櫓の上からひとり下界を眺めていました。眼下に広がる森は、足早に殺風景になってゆきました。当初は頻繁に様子を伺いにきていた村人も、おそらくは冬支度で忙しいと見て、やがてはめっきり現れなくなりましたが、それは赤ずきんにとってはむしろ好都合でした。仕事への口出しは少なければ少ないほどいいからです。
(正しければ、などという仮説はいらない。俺は正しい)
 彼は血の気の薄い唇を引き結んで、寒いとも思わず、来たる瞬間ときをただ待ち続けました。狩る者の誇りにかけて、彼にはいつだって標的を撃つ用意があるのです。しかし、高楼に翻る忌まわしき赤色を見ても、復讐にやってくるような者はただのひとりもないのでした。
 引き金をひかない日が続き、赤ずきんはいよいよ退屈しました。幸いにして多忙な村人たちは赤ずきんには構わなかったので、彼はひとつ策を講じることにしました。ある夜のこと、赤ずきんは藁と麻袋でもって自分に似た背格好の案山子をひとつこしらえると、空っぽの腹に石を詰め、予備の外套を着せました。それから枯れ森には些か映えすぎる姿のまま、ひとり森へと入ってゆきました。連中は文句を言うだろうかな、と薄く笑みを浮かべた彼は一度きり振り返って、櫓の上の身代わりを見ました。それが最後のご挨拶でした。
 居並ぶ木々は立ったまま眠っているようかのでした。温度を感じさせないコバルトの月が、まだら雲のヴェールの向こうに透けて見えます。じきに雨が降るのでしょう。赤ずきんは森の中を迷わず進み、河を渡り、獣道をいくつも通り抜けて、やがて少し開けたところにたどり着きました。血に染まらない白い花のたくさん咲いているその場所は、人間たちの知らない、言わば秘密の花園なのでした。そして、赤ずきんが待ちもうけていた相手は、予想の通りそこにいました。

「あんな連中のために、花を摘むのですか」
 真っ赤な羊歯しだを踏み分けて、さながら旧い友にでも話しかけるかのような具合で、赤ずきんは言いました。それを聞いて、山茶花さざんかを摘んでいた一匹狼が、やはり旧知の気安さで後ろを振り返りました。その手に握られている枝々は、きっと弔いの花なのでしょう。
「あなたは俺に気づいていたと見えますが。逃げようと思えば、いつだって逃げられたはずですね」
 生まれ育ちの高貴を示して格別に"毛並み"のよいその狼は、退かず凛然と言い返しました。その声音はそよ風のようにやわらかでした。
「殺すだけが目的でしたら、もうとっくに撃っているでしょう。あなたにはそうするだけの腕も知恵もある。違いますか」
「なめられたものだ」
 月明かりが雲に遮られた一瞬に、赤ずきんは狼に躍りかかりました。自分よりも体格で勝る狼を落ち葉の上に押し倒し、猟銃の先をその血色のよい額にぴたりと突きつけました。しかし、そうされてなお、狼のまなざしは凪いだままでした。その目じゃない、と赤ずきんは肚の底で思いました。
「これがただの脅しだとお思いですか。抵抗なり命乞いなり、したらどうです」
 凄むでもなく言う赤ずきんに、狼は小さくかぶりを振って答えました。
「する意味がありません」
「なるほど、俺など"歯牙にかける"価値もないと」
 前のめりになった赤ずきんの頭から、頭巾がするりと落ちました。そこから露わになった耳は、目の前にいる狼とあまりによく似た、漆黒の獣の耳なのでした。投げ捨てた革手袋の下には、するどい爪もありました。男は標的を傷物にしないよう、わざわざ爪を寝かすようにして、丁重にその顎をすくいました。片側だけ吊り上げた口角には、濡れた牙がしろじろと光っています。
「この大きな耳、大きな目、大きな口が何のためにあるのか、あなたはよくご存知のはずだ。だって、俺とあなたは同じなのだから」
「兄様、」
「反乱分子はみな始末しました」そう呼ばれることの不服を示して、赤ずきんは相手の言葉を遮りました。「連中、あれだけ俺を見下していたくせ、"向こう側"から手引きしてやると言えば、これ幸いとばかりに乗ってきた。フフ、根絶やしにされるのは手前てめえらの方とも知らずに。……まあ、そんなわけですから、あなたの危惧していたような血なまぐさい殺し合いはもう起こらんでしょう。よかったですね」
 ちっともよくはなさそうな調子で、赤ずきんは続けました。
「だから、後はあなたが俺の首を取りさえすればいい。あなたも半分とはいえ人間だ。いくら兄弟とはいえ、同族を殺め、群れの規律を乱した最後の裏切り者を、まさか生かしておくわけにはいきますまい」
「それは……」
「殺さなければ殺される。この状況で、一体何を躊躇うことがありますか。何が正しくて、何が間違っているか、それがわからんほどあなたは愚昧ではないはずだ。さあ、その手を汚してください。裁いてください、生きることの絶対的な正しさで。俺とあなたに流れる呪われた血が、世代を越えて繰り返してきたように」
 赤ずきんが銃を握る手にいっそうの力を込めた時、赤子の手に似た無垢な椛の葉が一枚、ひらり舞い落ちてきました。無遠慮にも狼の頬のあたりに着地したそれをすかさず払い落として、彼は思わず顔を顰めました。冬の気配を帯びた空気は痛いほども乾いているのに、その葉だけが生ぬるく湿気しけていたからでした。
「どうして泣くんです」
「わからないのですか」
 一度は雲間に隠れた月が、気づけば再び顔を出していました。そのまどかな光は安全装置セイフティが掛かったままの銃を、おとうとの頬を流れる涙の河を、崩れた白い山茶花を、もはや逃げ場のない赤ずきんを、すっかり詳らかにしていました。銃口が誰かに向けられることは、もうありませんでした。お役御免になった銃は持ち主の手を離れて、地面の上で明後日あさっての方を向いていました。
「どうして、か。どうしてなんだろうな、……」
 弟の濡れた頰を指で拭って、兄狼は笑いました。なおも拭いきれないものがそこには残りました。泣いているのが己の方とは、その時でさえまさか思いもしない彼でした。
「俺とあなたは同じはずなのに、俺にだけわからないというのは」

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