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祝福に至る道

 夢の中、尾形は波打ち際を歩いていた。ふと立ち止まって空を眺めると、これまでの人生が走馬燈のように映し出されては消えていった。人の死、特に戦場の記憶を映す時には、空の青は夕焼けよりも赤い色に染まるのだった。
 銃口を覗いたところで映像が打ち止めになり、尾形は何気なく背後を振り返った。そこには誰もいなかった。弓形の長い砂丘には、ひとり分の足跡が連綿と連なっている。それでも遠くに目を凝らせば、ごくわずかな期間だけ足跡が二列になっていて、かつては隣に並ぶ者のいたことがわかった。それは、
「兄様」
 何を思い浮かべるよりも早く、すぐ傍でその人物の凛と張った声がした。
 前へ向き直った尾形に、いつかと変わらぬ微笑みを投げかけるのは天衝くような偉丈夫、肋骨服姿の異母弟である。また罪悪感か。星を戴く軍帽の下、ぱちぱちと瞬く切れ長の目を尾形が訝りながら覗き込むと、勇作のかたちをしたものもまた尾形をじっと見つめて、照れくさそうに頬を染めた。尾形は内心ぎょっとして身を引いた。油断した、と思った。それですぐさま突き放して言った。
「どこから湧いて出た」
「ずっとお傍におりました」
「ずっと?」
「はい」
 寄せては返す波の音。再び視線を通わせることのないままに、尾形は静かにかぶりを振った。
「……勇作は俺が殺した。俺が悪霊だと思っていたのは、俺の罪悪感だった」
「私は私です。他の何ものでもありません」
「そんなはずはない」
「あなたの弟、花沢勇作です。兄様」
「馬鹿を言え。お前は俺が殺したんだ。だから、ここにはひとり分の足跡しかない」
「お忘れでいらっしゃるかもしれませんが、」引き返そうとする尾形の背に、勇作は少し早口に言った。「私は誰をも見捨てまいと、皆のよすがたらんと、御旗に誓いを立てた身でした。しかし、それ以前に私は私です。あなたの弟なのです。……兄様。私の兄様。ひとりの足跡しか残っていないところは、私が兄様を抱えて歩いていたのです」
 このように、と聴こえた瞬間、それまで目深にかぶっていた頭巾が後ろに捲れ、急に視点が高くなった。見れば勇作がその並ならぬ膂力でもって尾形を抱き上げているのだった。俺は軍旗じゃない、と抵抗しようとした尾形だが、そうしていると高さのあるだけずっと遠くまでも見渡せたし、その分、景色もひとりの時とは少し違って見えるようだった。
 自分でも意外なほど素直な気持ちで、尾形は春の光さざめくみぎわに目を凝らした。するとそこには波風の浚いそこねた誰かの足跡が、いくつも、いくつも、薄っすらとだが残っているのだった。中にはアイヌの少女のものもあった。――アシㇼパ。その名に音を載せた唇が微かに震えたのは、何も未練のためではなかった。
「ご覧になられたでしょう」下から勇作が言った。「我々だけではありません。皆、確かにそこにいたのです」
「勇作殿」
「はい」
「もう結構です。降ろしてください」
 勇作が腕を緩めると、尾形は砂の上にふわりと着地した。
 それからはふたり並んで歩いた。一歩ずつ、そこに新たな足跡を刻んで歩いた。やがて、地平線の向こうに大小さまざまの人影が見えてきた。そういや俺はいつも殿しんがりだったか、通りで後ろに誰もいないわけだ、と尾形は今更のように思った。そして、旗手としていつも先頭を走っていたはずの――高潔で、祝福された子どもで、尾形にとって最も遠い存在であろうかと思われていた――花沢勇作が、今はすぐ隣にいることを、しみじみ不思議に感ずるのだった。
 だがよく考えてみれば、廊下で幅寄せされていた時も、厠に落ちたとかで着替えを貸した時も、そこらで不意に出くわした時も、食事に誘った時も、戦場にいた時も、その後も、何ならはじめに兄と呼ばれた頃から、勇作が先に言った通り、ずっとそうだったのではないだろうか?
 潮風になぶられた髪を掻き上げ、尾形は小さく吐息した。
「生かす殺すは胸三寸、何もかもを思う通りにして、すべて無価値だと証明するまで、俺は誰にも負けないつもりでした。無論、己自身にも、です。ずっとそうやって生きてきた。なのに、……」
 指と指の先が、今になって初めて出会う。遥か彼方にいると思っていた勇作は、そう、いつだって手を伸ばせば届く人なのだった。
「全く、かないませんな。……愛をくれたあなたには」

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