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福音のカタログ

「そういえば、もうクリスマスケーキの予約の時期なんですね。早いものです」
 街を歩いていたらのぼりが出ておりました、と傍らの勇作が言う。
「十一月ですからね」
 早くも残り二枚になったカレンダーには目もくれず、ソファに寝転んだまま尾形は答えた。そこに予定を書き込むような習慣は尾形にはないが、何かと忙しい年の瀬のことなど、今から考えていたくはなかった。
 しきりに吹きつけていた木枯らしもいつの間にか止んだらしく、掛けっぱなしの鍋のふつふつと煮える音だけが、会話の切れ間を繋いでいる。
「ああ、そうか」勇作はひとりで得心して手を叩いた。「普通、カタログは請求しないと届きませんよね。うっかりしておりました。ネットでも見られるでしょうから、兄様、その時は相談に乗っていただければ」
 聞き捨てならず、尾形は沈むスプリングから半ば上体を起こした。
「なぜ俺が出てくるんです」
「も、申し訳ありません。そうですよね、兄様は既にクリスマスのお約束が、」
「ありませんが」尾形が即答すると、
「よかった」勇作はほっとした様子で胸を撫で下ろした。
 何もよくはない。己と違って生まれも育ちもおめでたい異母弟のペースに呑まれぬよう、尾形はため息まじりに語を継いだ。
「まさかクリスマスまでここにおるつもりですか。男二人ですよ。お互い浮いた話のない身にしても、勇作さん、あなたは他に何かあるでしょう。例えば、家族と過ごすとか」
「兄様は家族です」勇作はきっぱりと答えた。
「あ? ……いや、今のは俺の言い方がまずかった」言って、尾形は解れた前髪をすくった。「ご実家の方はよろしいんですか」
「どうしてそんなことを?」
「度々ここへ来ることを怒っとらんのですか、あなたの父君は」
「いえ。己の行動に伴う責任を学ぶべきだとして、私のことは私に一任してくれています。それに、私の父上は兄様にとっても父上ではないですか。我々はきょうだいなのですから」
「……」
 尾形は閉口した。クリスマスまでこんな気まずい思いはたくさんだとずばり本音を言わない限り、勇作との会話はどこまでも平行線を辿ると思われた。いくらきょうだいと言っても下手な他人よりよほど遠く、もはや共存など不可能なレベルの隔たりがあると尾形は感じるが、どうも勇作の方はそうではないらしい。さも当然のように家族として括りたがる。その中にいたことのない、いや、今だっているはずのない〝兄〟という存在を。
 ちらと横に視線を遣ると、床の上の勇作は屈託のない笑みのまま、わずかに首を傾いでみせた。足くらい伸ばして座れよ、と尾形はいつも思う。思うだけで言葉にしない。
「兄様はどんなケーキがお好きでしょうか」
「わかりません」尾形は抑揚なく答える。
「そうですか……やっぱり、生クリームよりチョコレートでしょうか。ええ、きっとコアントローやグランマニエの効いた、ちょっとビターな……フォンダン・ショコラ、いえ、ザッハトルテはどうでしょう。それともせっかくクリスマスですから、やはりそれらしくブッシュ・ド・ノエルにすべきでしょうか……うーん、悩みますね。そういえば近年はシュトーレンもお店で手軽に、」
 これが祝福された人間の唱える呪文か、と尾形は機関銃のような横文字の嵐を右から左へ聴き流し、それから今のこの状況に最も相応しいと思われることを言った。
「吹きこぼれますよ、鍋」
「わあっ」
 慌てて台所へすっ飛んでいく勇作をよそに、尾形は再び両の手を枕に寝転がり、クリスマスの晩餐にあずかる自分と勇作、そしてそこにあるべきケーキとやらの絵面を想像しようとしたが、うまくいかなかった。もっとも、これまでの人生で弟などいたこともなかったのだから、それで当たり前のような気がした。
 尾形はさっさと諦めて、まあ、そのためのカタログか、と天井の白を見つめながら思った。

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