至情に酬う
冬の、寒い日でありました。
――今でも、昨日のことのように覚えております。骨身に滲むるような山おろしが、スレンの方角からごうごうと吹きつける時節のことでございました。天馬の節が半ばを過ぎる頃にあっても、旧王国領の最北端に位置するゴーティエの地はなかなか春を兆さないのです。
先の大戦を経てフォドラがひとつの国家となり、隣国パルミラとの歴史的和解がなされた後も、ファーガス地方には長い長い冬の時代がありました。もっとも、帝国ひいては公国軍との戦が旧王都フェルディア以東に、そして民草の心に残した傷の深さを思えば、それも致し方のないことではありましょう。ランベール王の忘れ形見であったディミトリさまをはじめ、我々があの戦乱で失ったものはあまりにも多かったのです。
先代の逝去にともなって辺境伯位を継がれたシルヴァンさまは、領内の安定を最優先としながらもスレン族との無血での講和を目指し、その第一歩としてガラテア伯ともども食糧難の改善に着手するなど、多忙極まる日々を送っておられました。ゴーティエとスレンの遺恨を思えばそれは茨の道だというのは火を見るよりも明らかではありましたが、戦後この地へ戻られた時には既に、シルヴァンさまはその仕事へと生涯を捧げるお覚悟でいらしたのです。
――ええ。ゴーティエの居城に一振りの剣が届けられたのは、かような取り組みにようやく成果の出始めた折のことでございました。
黒壇の扉が開け放たれると、主への届け物を両の手に掲げ持つ格好で御前に膝をついた伝令は、この報せを持参するのはとても耐えられぬと言わんばかりの悲痛きわまりない面持ちで、深々と、――そうです、深々と、頭を垂れるのでした。それまで議論に花を咲かせていた執務室はたちまち水を打ったように静まり返り、その微かに震える両腕から、彼が掲げている剣から、わたくしは目を離すことができなくなりました。その時のわたくしも、同じ場に居合わせた他の臣たちも、きっと彼と同じように震えていたことだろうと思います。
そこにはひとつの書簡も添えられてはいませんでしたが、送り主やその意図を問う者は誰もありませんでした。ゴーティエに古くから仕える身なれば、半ばほどからふたつに折られたその剣と、刀身に刻まれている銘だけで、事の次第を想像するには十分だったのです。しかしながら、それがシルヴァンさまにとっていかなる意味を持つか知ればこそ、わたくしも誰も、主君にお声を掛けることができませんでした。そのかなしみにきっと底のようなものはなく、なんと申し上げたらよいのかわからなかったのです。
ですから、きっと敢えてのことでしょう。わたくしどもの動揺をよそに、シルヴァンさまはいたって気丈にふるまわれたのでした。やわらかな微笑みを湛えたまま、見る者の目を惹く天性の優雅さをもって伝令へと歩み寄り、いつも以上にねぎらいの言葉をかけられたあと、ひと呼吸おいてから剣をお手にとられました。伝令の彼は、その時でもまだ頭を上げることができずにおりました。忠義に篤い青年でした。
それから、その時期、この地方に特有の、しめり気の少い北風がぶしつけに窓を叩く中、シルヴァンさまはただ静かに手の内の錬鉄を見つめておられました。素人目にも業物とわかるその剣は傷だらけで、自身の苛酷な戦歴を物語っているかのようでした。折れた刀身は武器としての生命が絶えたというひとつの真実を示してはいましたが、日頃の手入れの賜物か、刃それ自体はそんなことなぞどこ吹く風というように、さえざえと澄み渡っているのでした。そして、そこにあるつめたくも純粋なかがやきは、在りし日のフェリクスさまのまなざしを、あの凛然たる佇まいを、わたくしの胸にも強く思い起こさせたのでした。よもやそこにいらっしゃるのではないかと、ともすれば錯覚してしまいそうになるほどに。
わたくしの知るフェリクスさまは、信念の方です。おそらくは、その最期の瞬間までひとりの戦士であられたのでしょう。かの御方は間違いなく己が剣によって戦場を生き、そして故郷のフラルダリウスではなくゴーティエを、いいえ、シルヴァンさまの許を終の場所と定めておられたのでした。
――よく、帰ってきたなあ。
そう言って、永遠に続くかのような沈黙を破られたのは、他ならぬシルヴァンさまご自身でした。少し掠れたような、しかし穏やかなお声でございました。半ば雪氷にうずもれたままのゴーティエの石造りの城に、その場に立ち会ったわたくしの心に、その言葉は重く、鐘楼の音のように響きました。
一点の曇りなく磨き抜かれた刃が、依然、愛おしむように銘をなぞるシルヴァンさまのお顔を映しておりました。そこへ、ぽつり、ぽつりと滴が落ちるのを目の当たりにし、それでようやく、我々もお二人の再会と永訣とに涙したのでした。
冬の、寒い日でありました。